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朝来市へ (生野銀山と神子畑選鉱場跡)
こんにちは。
吉住工務店スタッフブログへ訪問いただきありがとうございます。
今回は兵庫県朝来市へ行ってきたお話です。
以前から行きたくて、予習をしては ウズウズ^^
前日の夜も ウズウズ (笑)
遠足前の子供のような気持ちでした ♪
さて、最初に向かったところは近代化産業遺産である生野銀山です。
生野銀山とは
807年に発見され、1542年本格的な採掘がはじまる。
明治22年には皇室財産となり、明治29年には三菱合資会社に払い下げられるが
昭和48年には閉山。
坑道総延長350kmのうち1kmが観光坑道として公開されている。
(パンフレットより抜粋)
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坑道内では銀山ボーイズがお出迎えしてくれます。
人気投票もあるそうです (笑)
1kmは長いようであっという間でした。
坑道内を歩いていて
似ているなーと思いだしたのが
以前訪れた沖縄陸軍病院 南風原壕群20号です。
機会があれば、沖縄陸軍病院 南風原壕群20号についても
また書かせていただきますね。
生野銀山に話を戻しまして。
真っ暗な坑道内では、さざえに菜種油を入れて灯りとしていたそうです。
350kmも先、現場につくだけでも大変ですよね。
どうしていたんだろう??
生野銀山の次は
銀山の町として栄えた町並みや歴史遺産、
近代化産業遺産などが数多く残されている口銀谷地区を散策しました。
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旧生野警察署
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生野書院(生野資料館)
材木商の邸宅を改修したそうです。
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旧海崎医院
天井画が見たかったのですが、イベントが開催されているときしか見れないそうで、残念ながら次回に。
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トロッコ軌道跡
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口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)
こちらのスタッフの方が本当に親切で、
二階にも上がっておいで~と
天井にある、陶器でできた碍子(がいし)。
もう、こんなん大好き!
とキュンキュンしまくりでした。
生野まちづくり工房 井筒屋(旧吉川邸)と見学し
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志村喬記念館のある朝来市旧生野鉱山職員宿舎 甲社宅を見学し
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6か所のスタンプポイントで重ね押しすると出来上がるスタンプラリーも楽しんで、移動しました^^
次に向かったのは
神子畑選鉱場跡です。
神子畑選鉱場跡について
明延鉱山の選鉱施設として建設された選鉱場で
山の斜面を利用した機械選鉱場は規模・産出量ともに「東洋一」と謳われ、
24時間稼働している姿は不夜城と呼ばれた。
昭和62年、明延鉱山の閉山に伴い、選鉱場も操業を終了し閉鎖。
現在建屋は解体され
鉄筋コンクリートの基礎構造物と、
選鉱場の上下を結んでいたインクラインの跡が残されている。
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シックナーがなんともいえない
雰囲気を放っていて
圧倒されてしまいます。
鉱山事務所は現在「ムーセ旧居」として見学することができます。
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神子畑交流館「神選」のスタッフの方がまたとても親切で
たくさんお話させていただきました。
選鉱場の稼働時は1300人いた人口が現在は25名(内70歳以上が19名)
だそうです。
繁栄と衰退について考えさせられました。
スタッフの方とまたお会いする約束をして帰路につきました。
今回は駆け足の訪問だったので
次はゆっくり訪問したいと思います。
ながーい ながーい
お話にお付き合いいただきありがとうございました♪